ヴァルナ国際バレエコンクールの紹介

インタビュー!ヴァルナ国際バレエコンクールVIPゲスト|左右木健一先生

2012年からヴァルナ国際コンクールの日本代表審査員に選出された左右木先生に、コンクールに関するさまざまなことについてお話いただきました。

ご自身もオーストリアのカンパニーで活躍をされていた25歳で同コンクールに挑戦され、ファイナリストとなられるだけでなく組織委員会賞を受賞されています。
「元・出場者」であり「現・審査員」の左右木先生に、審査の裏側からプロのダンサーとしての心構えまでをお話頂きました。
経験に基づかれたお話は、特にバレエをされる若い方に向けられています。
最後に、同時開催されているサマーアカデミーについてもご紹介いただきました。興味をお持ちの方はぜひ2014年に参加してみてください。

  • 審査方法
  • 1ラウンド25点で採点します。ファイナルでは各ラウンドの点数を合計します。 ただし賞を決めるのは点数の合計ではありません。審査員の協議によります。点数からいったらトップでも協議の上で賞にならないこともあるし、逆に同じだけの力があると見なされれば(今回のシニア男子のように)金賞が二人になる事もあります。

    シニアとジュニアは基本的に年齢だけの区別です。
    また、審査は年齢では見ません。15歳でも19歳でも「ジュニアとして」評価されます。ただしジュニアとシニアでは、それぞれ「ジュニアとして」と「シニアとして」の表現の幅を考慮して採点します。
    また、例えばサードラウンドにジュニアは14人、シニアは12人進みました。シニアも14人にしてもよかったんですが、「シニアだから」ということで少し厳しくしました。

    同じヴァリエーションを踊る子たちを相対的に比べることはありません。それをやると審査員の好みになってしまうでしょう(笑)。その辺がスポーツと違うところですね。全員で課題のヴァリエーションの優劣を競うという感覚ではありません。例えば一人が踊ったら前の子と比べるのではなく、一人が終わったら記憶を全て捨てて、各々がどれくらいの表現をしているかということを見ます。審査員の中での審査の基準はありますが、基準とするダンサーはいません。
    ヴァリエーション一曲にしても、作品を理解して、音楽性があって、体のコーディネーションが整っていて、ストーリーを物語らなくてはならないんです。例えば手を前に出すだけでも、目の前に王子様がいるのか、村の人がいるのか、それとも自分の友達がいるのか、誰もいないのか、ということを理解して手を出さなくてはならない。
    作品を理解して登場人物がいてのヴァリエーションです。それが森の中なのか王宮の場面なのか昼なのか夜なのか、全部理解していなくてはだめです。それは教師が教えなくてはなりません。

    また、ヴァリエーションとパ・ド・ドゥ、どちらが有利ということはありません。
    ヴァリエーションの場合は全部一人で表現しなくてはなりませんが、パ・ド・ドゥなら登場人物がもう一人いるから表現が伝わりやすいかもしれません。でも、二人でどういう調和を出しているのかも見ます。そういう意味では不利になることもある。だからどちらが有利というわけではないです。
  • 日本のコンクールとの違い
  • 日本人の子たちはきちんと踊っていて、すごいと言われていました。ただ、その後がなかった。審査員からも「頑張っているけれど、そこから先がないね」と、言われてしまう。
    技術的にはきちんとできているんだけれど、その先の余裕がないから、審査員の先生たちが教えたくても教えようがないんですよ。
    対して外国のダンサーは決める部分は決めるんだけれど、どこか抜けているというか、人間的な部分が見えて愛らしいんです。もちろん外国の方も、すごい努力をしているんですけど、どこか余裕があるんです。見ていると審査員も、もう少しヒントをあげたいから、サードラウンドまで残してみようか、という気分になる。
    技術的に完璧な日本人のダンサーが落選して、そうではない外国の子が残ったのはそういう理由によります。日本人的感覚からすると「なんでこの子がサードラウンドまで進むの?」と疑問に思いますが、審査員側からすると、「なんかこの子愛らしいよね」、と。
    特にジュニアでは、魅力や可能性が評価されることが多かったですね。そこが日本のコンクールとの決定的な差だと私は感じました。
  • 最後を分けるのは表現力
  • 例えば完成した技術があれば必ず第一ラウンドを通過できるということではありません。きちんとした技術があり、そのうえで表現力がないと第一ラウンドだけでも進めません。踊れることは当たり前で、ピルエットが回れることも高いジャンプも飛べて当たり前、男の子だと540という大技がありますがそれもできて当たり前。
    でも何のためにピルエットを回るのか、何のためにジャンプをそんなに高く飛ぶのかという理由付けが見えないといけません。だから作品の解釈がとても重要になります。
    日本のコンクールだと(最近はそうではないこともありますが)、失敗しなければ第一ラウンドは通過するとかありますが、でもヴァルナの場合は失敗しなくても、役柄をきちんと理解していないことや、体が歌っていないなどの理由で落選します。
  • 国際的なセンスと奥ゆかしさ
  • 審査員の中で言われていたのが、「結局日本人のダンサーは観客を喜ばせてどうこうという域に達していないことが多い」ということでした。
    「すごく奥ゆかしい」、「特に顔の表情が何を表現しているのかさっぱりわからない」、と。
    それは人とコミュニケーションをとるにあたって目を合わせなかったり、質問があっても手を挙げなかったり、わからないのにわかったふりをして黙っていたり、褒められても謙遜したり、という日本的な文化からくるものかもしれません。他者とのコミュニケーションが消極的というのでしょうか。それは「奥ゆかしさ」という日本での美徳でもあるけれど、ただ国際的な舞台で自分を出してアピールするためには、すごくマイナスです。

    奥ゆかしさはバレエには必要ありません。本当に優れた人たちは、普段どれだけおしとやかで奥ゆかしくても、必要な時にはきちんと主張するんです。また、日本人のダンサーは、ここまで出したらみっともないと少し引くことが多いんですが、その引いた部分が採点の中ではマイナスになっていました。日本的に表現したいものを自分の中に隠しておくのではなくて、何もかもさらけ出すくらいでいいんですよ。

    バレエはお客様に何かメッセージを伝えて、そしてお客様が何かを感じてという文化だから、自分の狭い箱の中に入って演技していても、ましてや野外なので審査員には何も伝わってこないんです。そういう部分が、残念だけど日本人はすごく弱かった。もっと主張しなくては、伝わらないんです。
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